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| このたびの東日本大震災により被災された皆様には、心よりお見舞い申し上げます。被災地が一日も早く復興することをお祈り申し上げます。 |
3月11日に三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の巨大地震が発生した。最大震度は7で、震度6強の強烈な揺れが広い範囲で観測された。しかも、その直後に発生した高い津波は未曾有の被害をもたらし、東京電力福島第一原子力発電所の事故は、いまだに収束の見通しが立たない。原子力発電所からの放射能漏れは、周辺住民の健康を脅かし、農業・畜産業・水産業などにも被害が及び、多くの関係者に損害と不安を与えている。被災地の早期復興と原子力発電所事故の早期収束を願わずにはいられない。
札幌は震度3を観測した。地震の振幅が大きかったため、地震というよりも目まいを感じ、体の具合が悪くなったのではと錯覚した人が多かった。ほたるもその一人だが、照明の揺れを見て、慌ててダイニングテーブルの下に避難したという。筆者は仕事中だったが、船酔いした気分になった。余震後に全員が1か所に集まり定時まで職場待機となった。ほたるの安否確認は携帯電話で行ったが、接続できなかった。メールは送信できたが、ほたるからの返信がなく、不安が増した。幸い二人は被害を免れ、兄弟・親戚・友人・知人にも人的被害はなかった。 |
今回、大津波に襲われた三陸海岸は、1985(昭和60)年8月に自家用車で旅したことがある。たどったコースを抜粋すると
平泉中尊寺→気仙沼市(気仙沼パークホテル泊)→唐桑半島(巨釜・半造)→陸前高田市→碁石海岸→大船渡市→三陸町→釜石市→大槌町→山田町→宮古市(浄土ケ浜)→田老町三王岩(三王閣泊)→田老町(真崎海岸・三王閣泊)→田野畑村(鵜ノ巣断崖・北山崎)→十和田八幡平国立公園→宮古市(浄土ヶ浜)→陸前高田市(高田松原)
である。
三陸海岸は、古くから津波被害地として知られ、明治以降だけみても、1896(明治29)年の明治三陸大津波、1933(昭和8)年の昭和三陸地震津波、1960(昭和35)年のチリ地震津波と、甚大な津波被害を受けている。このため、多くの漁港や沿岸の集落には高い防波堤・防潮堤や防潮扉が設けられていて、それらの規模の大きさに驚かされた。そして、このような設備は、我々のような通りすがりの旅行者も護ってくれると信じ、何の不安も感じることなく盛夏を満喫した。
しかし、自然の脅威というか、地球の凄まじいエネルギーは、人の知恵をはるかに凌駕し、多くの防潮堤などの設備は破壊され、多くの市街地や田畑が津波にのみ込まれた。時間が経つとともに、被害の甚大さ、深刻さが徐々に明らかになった。二人はテレビの前に釘付けになり、会話の声が震え、途切れ、互いの目は涙でいっぱいになった。今、こうして生かしてもらえていることに感謝しつつ、被災された人々に対し、自分たちが今できることは何がを考えた。とりあえず、細やかだが義援金を日本赤十字社に託した。 |
| 今シーズンの降雪量は異常だった。2010年11月1日から2011年3月31までの累計降雪量は、札幌管区気象台の観測では467cm(平年値620cm*1)だったが、厚別区は649cm(平年値507cm*1)と市内の他のどの区よりも多かった。原因は石狩湾から伸びる帯状の雪雲が厚別区に居座る時間が長かったためだ。厚別区に越してきて7回目の冬だったが、こんなに除雪・排雪に悩まされたのは初めてだった。わが家では1階屋根に積もった雪が2階窓ガラスを半分ほど隠し、さらに2階屋根にできた雪庇状の雪の塊が落下して、2階窓ガラスを破壊する恐れが生じた。このため、2回雪下ろしをした。雪は庭に落とさざるを得ないが、量が量だけに樹木などへの被害が大きくなった。ある程度は覚悟していたが、バラは枝の折れ方が激しく、やむを得ず剪定した。樹形が乱れ、樹高も30cmに満たない状態になった。バラはほたるの宝物だが、枯れることを頭に入れておくように言うしかなかった。*1:平年値は1971年〜2000年までの30年間の平均値。厚別区は2005年〜2010年までの5年間の平均値。 |