神護寺(じんごじ)
神護寺もうで
京の郊外の清遊地として古くから知られる、三尾の一つ高雄へは、都心から
自動車でなら三十分を要せずして、錦織りなす清滝川のほとりに達します。
「もみじといえば高雄」のここ神護寺の、約20万平方メートル(60,400坪)の
山内全域は、木々の緑と紅葉におおわれて、朱の金堂はカエデと色をきそい、
大師堂は七世紀間の風雪に堪えてひっそりと静まり、多宝塔は緑をぬきん出て
建ち、絵筆に描き尽くせぬ美しさです。
境内最西端の地蔵院の庭からながめる、清滝川の清流がつくる錦雲峡は、
有名な「かわらけ投げ」のかわらけの、ゆくえを定めかねる、千じんの渓谷です。
春は桜が満山をかざり、夏は蝉しぐれに明け、河鹿、ひぐらしの声に暮れ、
冬は雪に埋もれてこよなく美しい、当神護寺は、四季を通じて自然の美しさに
つつまれて、しみじみと人の世のあり方を考えるのによい環境です。
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神護寺のはじまり
平安京造営(794〜)の最高責任者(造営大夫)であった和気清麿公が、いまの
愛宕神社の前身、愛宕山白雲寺などとともに建てた愛宕五坊の一つで、「高雄
山寺」とよばれたが、天長元年(824)河内(大阪府)の神願寺(清麿公創立)の
地が、よごれた所でふさわしくないという理由から高雄山寺に合併されて、
「神護国そ真言寺」と称したのがはじまりでありますが、これより先、和気
一族は、叡山の最澄(伝教大師)や空海(弘法大師)をこの寺に招いて活躍の場と
されたため、時の仏教界に新風を送ることとなり、平安仏教の発祥地となった
ところであります。
ことに弘法大師は唐(中国)より帰朝して、大同4年(809)に入山、いらい、
十四年間住持され、真言宗立教の基礎を築かれたところでありまして、のちの
東寺や高野山金剛峰寺(ごんごうぶじ)と並ぶ霊刹であり、弘法大師を初代と
しております。
文覚上人の再興
平安時代に二度の災害のため、堂塔のほとんどを焼失しましたが、一世の
豪僧、文覚上人がその荒廃をなげいて、寿永3年(1184)後白河法皇の勅許を得、
源頼朝の援助もあって往年以上の復興をみました。
現在の盛観
応仁の乱では再び兵火をうけ、大師堂をのこして焼失しましたが、元和9年
(1623)龍厳上人のとき、所司代板倉勝重の奉行によって楼門、金堂(いまの
毘沙門堂)、五大堂、鐘楼を再興、近くは去る昭和十年山口玄洞居士の寄進で、
昭和の名作といわれる金堂、多宝塔などが新築されて、今日の美観を整えて
おります。
出典:拝観用パンフレット