寂光院(じゃこういん)

寺の伝承によれば、この寂光院の歴史は京都に数ある寺のうちでも、指折りといえるぐらいに
古い。創建は実に推古2年(594)といい、聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うために建てたものと
伝えられている。
 文治元年(1185)になると、建礼門院がこの寺のそばに庵を建てて閑居の日々を送るようになり、
寺はそれ以来御閑居御所とも呼ばれるようになる。
 建礼門院は平清盛の娘で、16歳のときに平家の権力を背景に高倉天皇の皇后となり、22歳でのちに
安徳天皇となる子を生んだ。しかし「盛者必衰」と平家物語が謡うとおり、壇ノ浦の戦いで破れた
平家一族は、おさな子の安徳天皇も含めてもろともに海に沈む。自らも海へ身を投げた建礼門院
だったが、源義経に助けられて一人生き残った。
 その後、建礼門院は円山公園近くの長楽寺に入り、出家した。その折、わが子、安徳天皇の御衣で
作った幡が残っている。彼女は寂光院でひっそりと人目を忍びつつ、平家一族の冥福をひたすら祈り
ながら毎日を過ごした。建久2年(1191)に36歳でその波瀾の生涯を閉じるまで、ついに再び歴史の
表舞台に登場することはなかったのである。その建礼門院を、文治2年(1186)に後白河法皇が訪ねて
大原へやってきた話は「大原御幸(おおはらみゆき)」として謡曲で有名だ。

出典:通の行く京都 1200年の歴史を秘めた「京の古寺あるき」
   編者:メディアユニオン 発行所:有楽出版社
   発売所:実業之日本社 発行:1999年7月第5版