高台寺(こうだいじ)
当寺は豊臣秀吉の正夫北政所高台院(寧々)が、その始め生母朝日局追福のため京極の北に建てた
康徳寺を此の地に移し、建仁寺の三江紹益和尚を開山として慶長十年より寛永にかけて建立した
臨済宗建仁寺派の名刹で、造営にあたっては徳川氏が財力を惜しまず協力したので、伽藍は仏殿を
始め壮麗華美を極めたが、寛政以後の度々の火災で当時のものとしては、開山堂・霊屋等を残す
のみになった。
高台院は豊臣秀吉の正室で、名は寧々(ねね)。尾張の国に杉原助左衛門定利(後の木下肥後守)の
次女として生まれ浅野弥兵衛の養女となり、十余才で秀吉に嫁した。天正十三年(1585)秀吉が関白
になると共に従三位に叙せられて北政所と称され同十六年准三后、従一位に叙せられた。性温順
にして婦徳に富み、秀吉死後剃髪して大阪城を出、京都三本木に閑居してひたすら亡夫の冥福を
祈る生活に終始した。慶長八年(1603)高台院の号を勅許された。寛永元年(1624)九月六日歿、法名
は高台院湖月紹心尼という。
出典:第29回文化財特別拝観 拝観の手引 公開日 平成5年11月1日〜11月10日
発行 財団法人 京都古文化保存協会
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