仁和寺(にんなじ)

平安時代前期に第五十八代光孝天皇が、西山御願寺として創建に着手され、
第五十九代宇多天皇によって仁和4年(888)に完成、大内山仁和寺と名づけ
られた。帝は退位ののち出家して、仁和寺を住坊とし、三十余年間真言密教
の修行に専心された。以後、明治維新まで約一千年間、皇子皇孫が門跡とし
て法燈を伝え高い格式を誇った。しかしその間、応仁の乱の戦火で全伽藍を
焼失し、双ケ岡西麓に仮御所を設けた時期もあった。
現在の伽藍配置は、寛永年間、覚深法親王が、徳川家光の協力を得て再建
されたものである。御所紫宸殿を移して金堂とし、五重塔・経蔵・鐘楼・
観音堂・二王門などは当時の建物である。
歴代門跡は仏教のみならず、政治・文化にも多大の影響を与えた。「平家
物語」「徒然草」等の記述や、陶工仁清・乾山の作陶保護などにその一端が
うかがえる。「御室流」華道もその一つである。
明治維新には、第三十世純仁法親王は朝廷から征討大将軍を拝命、維新に
貢献したが宮門跡の最後となった。
仁和寺は現在、真言宗御室派の総本山である。境内は御室御所跡として
史跡に指定されている。
出典:拝観用パンフレット