愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)

当山は寺伝によりますと、聖徳太子の発願によって、愛宕郡(現在の京都市内)に愛宕寺を
建立されたとあります。また、江戸期の資料には稱徳(しょうとく)天皇(765〜769)が開基とある
ことなどから、建立は奈良時代以前に建てられた古刹であります。
平安朝の初め、真言宗教王護国寺(東寺)に属していましたが、延喜の初め鴨川の洪水で
堂宇が流失しました。この名刹の再興を発願された人皇60代醍醐天皇は、天台宗の僧、阿闍梨
伝燈大法師千観内供(あじゃりでんとうだいほつしせんかんないぐ:918〜984、内供とは皇居に
参内を許される僧位)に命じて七堂伽藍の
大寺を再興させ、等覚山愛宕院(とうかくざんおたぎいん)といい爾来(じらい)、天台宗比叡山の
末寺になりました。
千観は、中納言橘頼顕卿(ちゅうなごんたちばなよりあききよう)の子として生まれました。伝記に
よりますと、両親は子なきを悲しみ清水寺本尊の千手観音に昼夜参籠して祈願したところ、ある
夜、母は観音から蓮華一茎を授かる夢をみて懐妊したとあります。このことから、千手観音の千と
観の二字をいただき、幼名を千観丸といいました。
千観は12才で比叡山に登り、運照内供の弟子となって苦行し顕蜜(けんみつ)の奥旨を修めました。
また生涯仏名を唱えて絶えることがなかったので、世に念仏上人ともいわれ、当寺を愛宕念仏寺と
称するようになりました。
出典:拝観用パンフレット