善峰寺(よしみねでら)
当山は、長元2年(1029)源算上人の開山である。源算上人は、恵心僧都の
高弟で、因幡(鳥取)に生まれ、横川(比叡山)の恵心僧都に従い、顕密の蘊奥(うんのう)
を極め47歳の時、当山に入られ小堂を結び、十一面観音の像を刻み本尊となし、
仏法を興隆された。長元7年9月、後一条天皇より、鎮護国家の勅願所と定められ
良峰寺の寺号及び聖詠を賜わった。
”野をもすぎ 山路に向う雨の空 よしみねよりもはるる夕立”
以来歴朝の御崇敬篤く、長久3年、後朱雀天皇、洛東鷲尾寺より本尊仁弘法師作、
千手観音像を当山に遷して本尊とし、先の十一面観音像を脇立とされた。
白河天皇、諸堂を建立し給い、その後慈鎮和尚善恵上人、その高徳を相嗣がれ
、また青蓮院の宮が代々当山に住まわれた。即ち覚快、道覚、尊道、慈道、尊円、
尊證、尊祐、尊真、尊寶、各法親王である。そして西山の宮(門跡)と称された。
後花園天皇(102代)が伽藍を改築せられ、僧坊52の多きに及んだが、応仁の乱
に兵火を免れず焦土と化した。
その後徳川五代将軍の母堂桂昌院(けいしょういん)が当山を復旧され、二百石
及び山林42万5千坪を寺領として明治に至った。
出典:拝観用パンフレット
