随心院(ずいしんいん)

当山は、真言宗の大本山にして、弘法大師御入定後、百二十一年、弘法大師
より八代目の弟子にあたる、仁海僧正の開基にして一条天皇の正暦2年(991)奏請
して、この地を賜り一寺を建立し古くは牛皮山曼荼羅寺と称した。仁海僧正一夜
の夢に亡き母が牛に生れ変っている事を見、その牛を鳥羽の辺に尋ね求めて飼養
したが日なくして死す、悲んでその牛の皮に両界曼荼羅の尊像を画きて本尊と
なした事に因り牛尾山は仁海僧正が牛の尾を山上に埋めて菩提を弔ったと云う。
又仁海僧正、深く宮中の御帰依を受け、勅命を蒙り神泉苑(御池大宮西)に請雨の
法を修する事九度、みな霊験あって降雨し、雨僧正と称せられた。その後第五世
増俊阿闇梨の時に、曼荼羅寺の子房として随心院を建立し、ついで第七世、親厳
大僧正、寛喜元年後堀河天皇より門跡の宣旨を賜り以来随心院門跡と称す。堂舎
も次第に整備され七堂伽藍は壮美を誇っていたが承久應仁の兵乱に邁って悉く
灰儘に帰した。
その後慶長4年(1599)に本堂が再建され、以後、九条二条両宮家より門跡が
入山し、両宮家の由緒を以って寄進再建さる。
出典:拝観用パンフレット